すべての魔力であなたの元に 

すべての魔力であなたの元に 

last updateLast Updated : 2025-10-16
By:  月山 歩Updated just now
Language: Japanese
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大魔法使いジュリアは、貴族の男性と結婚して娘を授かったが、育児中、毒を盛られ命を落とす。 こんなことをするのは、私を嫌う魔法使い?夫?その愛人?嫌われ過ぎてわからない。 そのさなか、娘が心配なあまり最後の力を振り絞り、転生の道を選ぶ.魔力を使い切った彼女は、姿が違うただの民になっていた。

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Chapter 1

1.魔女の終わり

「うっ、ぐはっ。」

 この世で最も魔力量が多いと呼ばれるジュリア・ハミルトンは、ワインを飲んだ瞬間、喉が焼けるような痛みに襲われ、吹くように血を吐き出した。

 お気に入りのドレスは血にまみれ、視界は暗く滲んで、意識が遠のき、その場に崩れ落ちる。

「ジュリア様!」

 私付きの侍女であるポーラが、驚きの表情を浮かべ、私に叫ぶように声をかけているのが聞こえるが、もう言葉を発することも、呼吸をすることもできそうにない。

 私は邸の寝室で、一歳になりつかまり立ちし始めたカレンを抱きしめた直後、喉が渇くためワインをぐいと一口で一気に飲み込んでしまった。

 この喉を焼くような痛みや苦しさは、ただの病気ではないわ、毒ね、毒がワインに入っていた。

 致死量を優に越える毒が、瞬く間に身体を駆け巡る。

 どうして少し含むようにして、ワインを飲まなかったのか。

 せめてほんの一口なら、命は助かったかもしれないのに。

 今更遅いけれど、止まらない後悔が押し寄せる。

 まさか自分が住むブライトン邸で、こんなことが起こるだなんて、思うはずもなかった。

 だって記憶にある限り、この王国内で毒を盛られるなんて話は、聞いたことがない。

 毒についての記録は、古物書に載っている程度で、ただの知識でしか知らない。

 まさか、そんな危険な物を使った事件が実際に起こるなんて、誰もが想像しないだろう。

 この王国は、良いことばかりではないけれど、危険な他国に比べて比較的安全だと言われている。

 それは、私達、魔法使いが日々結界を張って、魔獣などから国を守っているからだけど。

 寝る前の穏やかな時間であるはずが一転して、今日が人生最後の日になりそうだ。

 痺れた手足が動かず、床に倒れたまま、かろうじて視線だけを動かし、娘を探す。

 目がかすんでしまい、もうよく見えないが、何とか視界の端に、カレンがベビーベッドの中で、スヤスヤと寝ているようすを確認する。

 良かった。

 カレンは無事なのね。

「ジュリア様、嫌、いなくならないで。

 すぐに侍医を呼んで参りますから、お願い、お願い。」

 駆け寄ったポーラが私を抱き起こし、悲痛な声をあげる。

 必死に私に呼びかける彼女の声が遠くで聞こえるが、私の命はもう間に合わないと本能的に悟った。

 ごめんね、ポーラ、その約束もう果たせない…。

 彼女が私をその場に横たえ、走り去っていく足音が遠ざかる。

 それにしても、誰が、誰がこんなことをしたの?

 毒を盛るほど人に恨まれるようなことを私は何かした?

 私を妬む魔法使いの誰か?

 それとも政略結婚した夫のセオドア様?

 その愛人のローレッタ?

 薄れゆく意識の中で、必死に考えても、答えが見つからない。

 残念だけど、確かに私はあまり好かれていないわね。

 だから、誰の仕業なのか、見当もつかない。

 私はただ一歳になったばかりのカレンを大切に育てていきたいだけなのに。

 私がいなくなったら、この子はこの先どうなるの?

 セオドア様はローレッタと親しくするばかりで、カレンを大切に育ててくれるかどうかわからない。

 さすがに自分の子だから、毒を盛るようなことはないだろうけれど。

 でも、魔法使いの血を受け継ぐカレンには、そばで魔法の使い方を教えたり、サポートする者が必要だ。

 けれど、セオドア様には魔力がなく、魔法の使い方を教えることができない。

 私がしないで、誰がその役を担えるの。

 カレンの将来が心配だわ。

 私の代わりにこの子を誰か親身に育ててくれないかしら?

 ポーラなら魔力はないけれど、私の代わりにカレンを育ててくれるかもしれない。

 大魔法使いと言われたこの私が、こんな毒如きで、命を落とすだなんて信じられない。

 せめて最後の力を振り絞って、何かできることはないかしら?

 治癒魔法を使えない私は、毒を解毒することはできなくても、何か、何か、できるはず。

 だって私は王国きっての大魔法使いよ。

 考えて、考えて。

 そして私は、薄れゆく意識の中、唯一の方法である転生する道を選んだ。

 今、ありったけの魔力を使うから、転生した先で魔法を使えることはないだろう。

 だからどの道、魔法使いである私はもう消える。

 けれど、それが何だと言うの、カレンのそばにいられたら、魔力なんてなくたっていい。

 命がある限り、母としてできることがあるはずよ。

 次の瞬間、キラキラと金色に光るまばゆい光に包まれて、私の魂は来世へ旅立った。

 大魔法使いである私の肉体は、二十六歳という若さで生涯を閉じた。

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1.魔女の終わり
「うっ、ぐはっ。」 この世で最も魔力量が多いと呼ばれるジュリア・ハミルトンは、ワインを飲んだ瞬間、喉が焼けるような痛みに襲われ、吹くように血を吐き出した。 お気に入りのドレスは血にまみれ、視界は暗く滲んで、意識が遠のき、その場に崩れ落ちる。「ジュリア様!」 私付きの侍女であるポーラが、驚きの表情を浮かべ、私に叫ぶように声をかけているのが聞こえるが、もう言葉を発することも、呼吸をすることもできそうにない。 私は邸の寝室で、一歳になりつかまり立ちし始めたカレンを抱きしめた直後、喉が渇くためワインをぐいと一口で一気に飲み込んでしまった。 この喉を焼くような痛みや苦しさは、ただの病気ではないわ、毒ね、毒がワインに入っていた。 致死量を優に越える毒が、瞬く間に身体を駆け巡る。 どうして少し含むようにして、ワインを飲まなかったのか。 せめてほんの一口なら、命は助かったかもしれないのに。 今更遅いけれど、止まらない後悔が押し寄せる。 まさか自分が住むブライトン邸で、こんなことが起こるだなんて、思うはずもなかった。 だって記憶にある限り、この王国内で毒を盛られるなんて話は、聞いたことがない。 毒についての記録は、古物書に載っている程度で、ただの知識でしか知らない。 まさか、そんな危険な物を使った事件が実際に起こるなんて、誰もが想像しないだろう。 この王国は、良いことばかりではないけれど、危険な他国に比べて比較的安全だと言われている。 それは、私達、魔法使いが日々結界を張って、魔獣などから国を守っているからだけど。 寝る前の穏やかな時間であるはずが一転して、今日が人生最後の日になりそうだ。 痺れた手足が動かず、床に倒れたまま、かろうじて視線だけを動かし、娘を探す。 目がかすんでしまい、もうよく見えないが、何とか視界の端に、カレンがベビーベッドの中で、スヤスヤと寝ているようすを確認する。 良かった。 カレンは無事なのね。「ジュリア様、嫌、いなくならないで。 すぐに侍医を呼んで参りますから、お願い、お願い。」 駆け寄ったポーラが私を抱き起こし、悲痛な声をあげる。 必死に私に呼びかける彼女の声が遠くで聞こえるが、私の命はもう間に合わないと本能的に悟った。 ごめんね、ポーラ、その約束もう果たせない…。 彼女が私をその場に横たえ、走り去っ
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2.転生はしたけれど
「あのぅ、すみません、こちらでナニーとして働きたいのですが…。」 転生したジュリアが、ブライトン邸の門番に声をかけると、その男性は不審そうに私を頭からつま先までじろじろと眺め、怪訝そうに眉をひそめる。「あんた、何言ってんだ。 ここはブライトン侯爵様のお邸だぞ。」「はい、存じ上げております。」「無理に決まってるだろ、帰った、帰った。」 その男性はシッシッっと手を振り、背を向ける。「待ってください。 ワグナーさんにお話いただければ。」「ワグナー様を知っているのか?」「ええ、まあ。」 曖昧に答えるしかない。 私は転生して、何故か若い女性に姿を変えていた。 だから、執事長であるワグナーに会えたとしても、私だとわからないだろう。 何せ私はすぐに転生できたものの、全く違う別人の女性に変わっていた。 魔力の強さを表す紫色の瞳はブルーへ、髪色は黒色から金髪へ、さらに鼻や口などの細部に至るまですべて変化していた。 何故、転生しただけで、姿が変わるのか正直わからないけれど、魔力を完全に失った私は、外国の片田舎で目覚め、ここにたどり着くまでに、三年の月日を費やした。 魔女であった頃は、転移魔法も使えたし、貴族であったため、金銭にも不自由したことはなかった。 いやむしろ、生活していく上で、金銭のことなんて考えたこともなかった。 特権階級で、何不自由なく暮らしていたからである。 転生して初めて、魔法使いが貴族と結婚させられる理由がわかったのだ。 貴族の一員になれば、普通の民と違って、金銭を稼いだり、身の回りのことを自分でするなどという煩わしさとは無縁の生活を送れる。 その分、魔法使いの仕事に集中できるのだ。 そして、政略結婚を受け入れる貴族もまた、王と教会の権力争いから逃れるために、魔法使いである伴侶を必要としていた。 どちらかに偏りすぎると、家の存続に関わるぐらいの干渉がつきまとう。 王家を守る保守派と魔法使いを束ねる教会、どちらも敵に回すと、厄介なことこの上ない。 それはいいとして、どうしてか遠い他国に転移してしまった私は、今は魔力のない普通の民だから、ブライトン邸まで戻りたいと思ったら、仕事を見つけることから始めて、長い年月をかけ金銭を貯めて、やっと移動ができる。 船と馬車を乗り継いで旅をするのは、民にとって一生にあるかないかの金
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3.ナニーになる
「なるほど、エスター子爵夫人の紹介ということだね。」 重厚な応接室に響いたセオドア様の低い声に、ジュリアは背筋を正す。 私は今、ブライトン邸の応接室で、セオドア様とワグナーの面接を受けていた。 厚いカーテンから差し込む光が、磨き上げられた床に反射してきらめいている。 ナニーになって、どうしてもカレンのそばにいたい。 その一心だった。 あの日、ブライトン邸で門前払いをされてから、エスター子爵夫人の侍女として働き、ブライトン邸に紹介してもらうまで、さらに一年を費やした。「はい。 ジャスミンと申します。 よろしくお願いいたします。」 転生してから、以前と同じ名にはできないので、「ジャスミン」と名乗っていた。 二人の視線が私の全身を、上から下まで値踏みするように流れる。「噂で聞いているかもしれないが、ここで働くには覚悟が必要だ。 裏切りは許されないし、もし、ここでのことを他の者に漏らしたり、不審な物を持ち込んだ者は厳重に処罰する。 もちろん、この邸に人を招くことも認めない。 それでも良いか?」「はい。」 久しぶりに会ったセオドア様は、もちろん私がジュリアだと気づかない。 容姿も声も変わって、若くなっているから尚更だけど。 それにもしかしたら、セオドア様が私に毒を盛ったかもしれないのだ。 だからもちろん、私がジュリアだと話せない。 固い表情を崩さないけれど、相変わらず彼は綺麗な顔だわ。 金髪に濃いサファイアの瞳、整った顔立ちには、以前にはなかった眉間の皺が刻まれていた。「とりあえず、カレンに会ってもらおう。 娘の反応が悪かったら、諦めてもらうが。」「はい、わかりました。」 私が頷くと、セオドア様がワグナーに合図を送り、彼が部屋を後にした。「ここは警備が厳重なんだ。 驚くと思うけれど、慣れてくれ。」「わかりました。」 ドアが開くと、小さな足音が近づき、ワグナーと手を繋いだカレンがやって来た。 最後に会ったのは、カレンが一歳の頃だったからまだ赤ん坊だったのに、目の前にいる娘は五歳になっていた。 セオドア様に似て、青色の瞳で私をじっと見つめている。「カレン、こちらは新しいナニーのジャスミンさんだ。 挨拶して。」「ご機嫌よう、カレンです。」 促されると、カレンは小さな手でスカートの端をつまみ、ちょこんとカーテシ
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4.ジャスミンというナニー
「カレン様、こちらの色はいかがですか?」「ジャスミン、それにする。 ドレスがとってもかわいい。」「そうですね。 カレン様は桃色がお好きですね。」 窓辺から差し込む午後の日差しが、淡く床に模様を落として、その光の中でカレンとジャスミンが、肩を寄せ合い紙いっぱいに色を重ねていた。 部屋の奥の椅子に腰かけたセオドアは、その穏やかな光景を静かに見守っていた。 僕の目に映るのは、無邪気に笑う娘と、それを包み込むような優しい微笑みの女性。 ジャスミンがこの屋敷に来てから、もうしばらくの時が経ったように感じるほど、カレンはすぐに彼女に懐き、今では朝から晩まで一緒に過ごしている。 以前はポーラ一人で世話をしていたが、あの頃のカレンはどこか怯えたように静かで、笑うことも少なかった。 それが今では、クレヨンを握る小さな指先まで、生き生きとしている。 ジュリアを失ってから、ブライトン邸はいつも重苦しい静けさに包まれていた。 毒への恐怖が、長く邸を支配していて、警備も固くせざるをえなかったからである。 その上、働く者には信頼できる貴族の紹介が不可欠だから、人の出入りがほぼなく、最低限の人数のみで、維持されていた。 けれども、ジャスミンが来てから、その空気に少しずつ色が戻っているようだ。 彼女は若い女性だが、母のようにとても優しい目でカレンを見ている。 普通なら、この邸の異様な厳重さを息苦しく感じ、すぐに辞めたいと申し出るが、彼女は違うようだ。 ジュリアが亡くなってからというもの、ポーラは休暇を一度もとっていなかったが、ジャスミンが毒味役をすると申し出たおかげでポーラは久しぶりに休暇を取っている。 もしジュリアが生きていたら、こうやってカレンと遊んでいたのだろうか? 二人の姿は微笑ましいけれど、カレンのために、絶対に気は抜けない。 あらを探すように見ていると、ジャスミンの所作が普通の民とは違って上品なのが気にかかる。 王宮で働けるほどの所作ができているのは、何故だろう? 若い女性でこれができるのは、貴族しかいないと思っていたが、そうではないらしい。 僕は二人のやり取りを聞きながら、たまらず尋ねた。「ジャスミン、エスター子爵夫人以外の貴族の邸で働いていたことがあるかい?」「いいえ、エスター子爵夫人のところだけです。 その前は、コーツ王国でお
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5.夕食
 いつも夜更けまでいないセオドア様が、今日は珍しく早く帰ってきた。 ジャスミンは、彼とカレンという三人で、夕食の席に着いていた。 ろうそくの柔らかな灯りが、銀器に反射して、テーブルの上を静かに照らす。 セオドア様とカレンの口をつける食器はすべて銀製で、彼がいかに用心深く毒を警戒しているか、その冷たい輝きが伝えているようだ。 並べられた大皿の料理から一口ずつ料理長が取り分け、私の前にずらりと並べる。 彼らやマーカス達に囲まれながら、最初に口にするのが私の役目で、深く息を吸い、皆の視線を感じながら、スプーンを手に取った。 それを皆が一心に見守るという、緊張、警戒などを含んだ不思議な時間なのだ。 この沈黙の中で、私の食事音だけがやけに響く。 私は前世の苦い経験から、何かを口にする時は、スプーンの先のほんの少しだけ口に入れ、変な味はしないか、舌先は痺れないかを確認してから、残りの分を食べるような癖がついていた。 どんなに空腹を感じても、一口で一気に頬張るなんてことは、現世ではしない。 魔法使いでなくなった今の私には、三度目はないのだから。 そんな理由から、最初の一口を食べるのに時間がかかるし、皆の視線があるから、スープを飲む時に誤って音を立てたり、こぼしたりしないか、別の意味でも緊張感が襲う。「とても美味しいです。」 私がそう告げると、ようやくセオドア様が軽く頷き、彼とカレンの前にも料理が並ぶ。 その瞬間、緊張がほどけたように、空気がゆるやかに動き出した。「やったー、ジャスミンはどれが一番美味しいと思った?」 カレンが瞳を輝かせて尋ねてくる。「そうですね。 カボチャのグラタンでしょうか。」「ほんと? じゃあ、それから食べよっと。」 カレンはグラタンの入った皿に手を伸ばすと、嬉しそうに食べ始める。 私が先に食べる本当の理由を知らないカレンは、無邪気に次から次へと好きな料理に手を伸ばす。「カレン様は食べ物の好き嫌いはありませんか?」「あるよ。 私はピーマンと人参が苦手なの。 でも、ポーラが食べないと悲しい顔をするから、少しだけ頑張って食べてるの。」「そうですか。 それは素晴らしいですね。」「うん、偉いの私!」「ふふ、そうですね。」 穏やかな笑い声がテーブルに広がる。 だがその空気を引き締めるように、セオドア様が優
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6.セオドア様の執務室
 カレンが眠りにつくと、屋敷は静けさに包まれた。 蝋燭の灯がゆらゆらと壁を照らし、夜気がひんやりと漂う。 ジャスミンは胸の奥を落ち着かせながら、ゆっくりと執務室の扉をノックした。「セオドア様、今よろしいでしょうか?」「ああ、入ってくれ。」 扉を開けると、部屋の奥では蝋燭の光が机上の書類を照らし、淡い琥珀色の光がセオドア様の横顔を縁取っていた。 その傍らには、いつものようにワグナーの姿もある。「失礼します。」「そこに座って。」 セオドア様がいる机の手前にあるソファを勧められ、腰かける。 今日中に話したいことって、何かしら? 勝手にカレンを農園に連れ出したのがダメだった? どんなに怒られてもいいから、解雇だけは許してもらおう。 彼に認められなければ、カレンのそばにいられない。「ここでの仕事は慣れたかい?」「…ええ、少しずつですけれど。」 セオドア様は一瞬視線を落とし、それから柔らかな声で続けた。「それは良かった。 ところで、ポーラの代わりに毒味役をやってもらっているが、大丈夫か?」「大丈夫と申しますと…?」「若い女性にあのような役をさせるのは、心苦しくてね。 だが、カレンに最も近く接する者には、それだけの覚悟を持ってもらわないと安心できない。」「…それは大丈夫です。 でもどうして、セオドア様の食事まで制限しているのですか? もっと自由に好きな物を召し上がりたい時もあるでしょうに。」「僕にはカレンを育てるという使命がある。 だから僕も彼女がひとり立ちするまでは、生きなければならない。 それを過ぎたら、私の命はどうなってもいいから、毒味なしで食べるつもりだ。」 セオドア様の声は静かだったが、底に確かな意志があった。「では、今の体制はカレン様のためだと?」「それ以外に、僕に生きる意味などないさ。」「そうですか…。」 短い沈黙が落ちた。 蝋燭の火が小さく揺れ、机の上の影が揺らめく。 再び出会ったセオドア様は、私が描いていた彼とは別人のようになっていた。 確かにカレンを大切にしている。 それはもうここへ来てから、十分に感じたけれど、何かがおかしい。 彼は私がいなくなったのを幸いに、ローレッタと一緒にいると思っていたのに、実際は彼女の姿は、どこにもなかった。 あの頃は、私が仕事で離れるたびに会っていると、
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7.外遊び
「カレン様、今日はこれを持ってお外に行きましょう。」「それは?」 カレンは目を丸くし、ジャスミンの手にある鮮やかな赤いボールを見つめた。「これはですね、投げたり受け止めたりして遊ぶ物です。」「ふーん。」「さあ、外に行ってみましょう。」「うん。」 カレンと手を繋いで、邸の横にある庭園へ導く。 外は青い空が広がり、澄み切った風が流れている。 こんなに良い天気なのに、このくらいの子供が一日中邸に篭っているなんて、もったいないわ。「さあ、私がやるのを見ていてくださいね。」 そう言って、ボールを空高く放り投げ、落ちてくるそれを両手で受け止める。 それを楽しそうに何度もやって見せると、たまらずカレンが声を上げる。「私もやりたい!」「ええ、いいですよ。」 ボールを渡すと、早速カレンは同じように上に投げて、つかまえる。 時々、上にあげすぎると取り損ねて、地面に転がるのを拾い上げては、また繰り返す。「どうですか? 楽しいですか?」「うん。」 夢中になっているせいか、カレンはこちらを見ようともせずに、答える。 ふふ、やはり子供はこうでなくっちゃ。「さあ、カレン様がとても上手になったので、今度は二人でやりましょう。 私が投げるから、受け取って、同じように投げてください。」「うん!」 カレンからボールを受け取ると、ゆっくりカレンに向かって投げる。 するとカレンは驚いた顔をしつつも、両手でしっかりと受け止めた。「上手ですね。 今度は私にも投げてください。」 そう促すと、カレンは嬉しそうに頷き、ボールを投げ返すが、私のところまで届かない。 力が足りず、ボールは途中で落ちてしまったのだ。 私は拾いに行って微笑んだ。「ごめん、ジャスミン。」「いいのですよ。 拾えばいいだけですから。 これは二人で協力してする遊びです。」「うん、わかった。 ジャスミン、楽しいね!」 その言葉に胸が温かくなる。 カレンは何度も繰り返すうちに、少しずつ上達していき、距離を伸ばせるようになっていく。 すると私のいたずら心に火がついて、少しだけ取れないようなところに投げると、カレンはボールの方を手に近づけ始める。 ふふ、やはりカレンは魔法が使えるのね。 集中すると、ボール自体を操り出す。 無意識にそんなことをしているだなんて、本人は気づい
last updateLast Updated : 2025-10-16
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⒏女がセオドア様を狙う
 ジャスミンがカレンと手を繋ぎ、庭園へ向かおうとしている時、女性をエスコートして応接室に入るセオドア様の姿があった。「また、あのおばさん来てる。」「えっ?」 カレンは足を止め、むっとした表情で口を尖らせる。「あの人はね、パパのところに時々来るの。 すごく臭い香水をつけて来るから、いるとすぐにわかるの。」「そうですか。」 その後、二人でボール遊びを始めるが、カレンの表情はくもっていた。 投げる力がいつもより強く、ボールがあちこちに飛んで行き、そのたびに拾いに行く私にもカレンの思いがひしひしと伝わる。「あの人、多分パパのことが好きなんだよ。 でもね、パパは再婚しないから大丈夫って言ってくれてるの。」「そうですか。」「だって、パパは今でもママのことが大好きで、それ以外の人とは結婚しないって、約束してくれたんだ。」「カレン様はセオドア様が結婚するのは嫌ですか?」「もちろんだよ。 パパは私だけのパパだから。」「そうですか、カレン様はセオドア様が大好きなんですね。」「うん。」「でしたら、セオドア様を信じましょう。」 その言葉に、カレンは少し表情を和らげ、ボール遊びに集中し始めると、次第に先ほどの不機嫌さが消え、いつもの明るい笑顔を取り戻す。 私はそんなカレンを見つめながら、胸の奥でそっと息をついた。 セオドア様は、あれから一度も再婚することも無く、カレンにとても愛されている。 私があの時想像した未来と全く違って、本当に良かった。 父と娘はお互いに家族愛を育んでいる。 それが何よりも嬉しい。 けれど、セオドア様の周りには女性がつきもので、特定の女性がいると私達に漏らさないけれど、結局、あの頃と変わらない。 きっと子供の目の届かないところで、女性と付き合っているんだわ。 カレンに悪い影響さえ無ければ、どうでもいいと思おうとしても、何故か胸の奥で微かに嫉妬が疼く。 ジュリアはもういないのだから、セオドア様はもう私の夫ではないのに、今でも自分のものだと割り切れない想いが収まらず、不思議だった。 今のセオドア様にとって、私はただの雇われナニーなのだから諦めるしかないのに、心はそううまくいかない。 カレンのようにやはり不快だった。 夕食時、カレンとセオドア様と私が席についているが、カレンはほとんど話さず静かに料理を食べている。
last updateLast Updated : 2025-10-16
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⒐セオドア様の事情
「セオドア様、お呼びでしょうか?」 カレンを寝かしつけ、今日を終わりたかったのに、彼は私を呼び出さずにいられないらしい。「そこに座ってくれ。」「はい。」 彼の執務室に入ると、深くソファにもたれるセオドア様の姿があった。 私が向かいのソファに座ると、セオドア様はワグナーに目配せをして、二人きりになるとすぐに問いかけた。「さっきのカレンの態度はどういうことだ?」 セオドア様の声には、苛立ちが混じっていて、滅多に感情を表に出さない彼が、明らかに怒っているのがわかる。 前世では、彼がこんなに感情を露わにするところを見たことがなかったし、セオドア様の怒る姿も、苛立つ声も知らなかった。 彼には、いつも静かな理性しかないと思っていたし、こんな顔を一度も見たことがなかった。 私は初めて知る彼の表情に気を取られ、問いへの反応が遅れる。 すると、セオドア様はさらに言葉を重ねる。「聞こえているかい、ジャスミン?」「あっ、はい、すみません。」「どうして僕はカレンに嫌われたんだ?」 鋭い視線がまっすぐに刺さる。 私は深く息を吸い、落ち着いた声で答えた。「それは、セオドア様が女性をエスコートしてる姿をカレン様が見てしまって嫌な思いをした後に、その女性の香水の香りをまとって、食堂にいらしたからです。」「香水の香り?」「はい。」「それは子供にとって不快なのか?」「はい、カレン様は嫌がってました。」 「嫌な匂いではないはずだが?」 セオドア様は納得がいかないとばかりに、険しい表情で質問を重ねる。 初めての衝突に怯みそうになるけれど、彼が理解しようとしているんだから、ちゃんと、カレンの思いを伝えなくっちゃ。「匂いが気に食わないのでは無く、セオドア様から、女性の存在を感じ取ってしまったのです。 カレン様は、あなたがその女性と再婚するかもしれないと、不安に思っているようです。」「なるほど。 だが、カレンとは誰とも再婚はしないと約束しているはずなんだが。」「はい、伺いました。」「理解しているなら、あの子が不安に思う必要はない。」「多分、セオドア様を信じていても、不安なんですよ。 それに、父親に近づく女性を見て嫌な気持ちになるのは仕方がありません。」「そんなものか?」「はい。 その女性にセオドア様を奪われるのではないかと、心配しているので
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10.農園
 今日は雲ひとつない青空が広がり、ジャスミンは、カレンとセオドア様と一緒に、邸の裏の農園でトマトを収穫していた。 陽射しはやわらかく風がそよぎ、小鳥のさえずりが時折聞こえてくる。「パパ、このトマトは赤いからもうとっても大丈夫よ、ねえドータン。」 ドータンはこの農園を取り仕切る、邸全体の園芸長であり、彼の了解なしに食物を採取することは、料理長であっても許されない。 その彼がカレンには激甘であるのは、誰の目にも明らかだった。「はい、カレン様、完璧でございます。」 そうドータンがうやうやしく頷くと、カレンは得意そうにセオドア様に熟したトマトを教えた。 すると、彼は言われた通りにそのトマトを収穫しようと、指先で軽くひねる。「あれ、カレンに教わったように、クイっと取ろうとしたら、トマトが簡単にぽろんと取れたぞ。」「はい、充分に熟したトマトは、ほんの少し動かすだけで、簡単に取れてくるものです。」「そうか、初めて知ったよ。」「ねっ、パパ、楽しいでしょ?」「そうだね。」 そう言って、セオドア様は穏やかな笑みを浮かべ、カレンの頭をそっと撫でた。 すると、カレンは誇らしげに笑顔を見せる。 太陽の光の中で揺れる二人の姿が、まるで絵画のように美しく見えて、私の胸を熱くする。 セオドア様を農園まで連れてきて、トマトを収穫させるなんて、カレンにしかできないことだわ。 私は親子の触れ合いを見ながら、前世でこんな穏やかな未来がやって来るなんて、想像もできなかったとしみじみ思う。 カレンは今度はドータンと並んで、人参も収穫してみようと二人で相談している。 そのとき、背後からセオドア様の静かな声が聞こえた。「ジャスミン、僕達親子がまた、こうして話せるようにしてくれてありがとう。 一時は、もうカレンは二度と僕と、口を聞いてくれなくなるのではないかと不安だったよ。」「そんな、昨日のことはちょっとしたすれ違いですわ。 家族なら、時々起こるものです。」「だが、カレンは今まで僕にあのような感情を、直接ぶつけることはなかったんだ。」「えっ?」「ああ、多分、カレンなりに我慢していたのだと思う。 僕は彼女にとってたった一人の家族だから。」「でも、子供ですから笑ったり、怒ったりするのを止められないと思いますが。」「いや、本当なんだよ。 君が来る前は、カレンは
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